「量子ジャミング」が因果律の謎を解く鍵となるかもしれない

奇抜すぎて忘れ去られていた「量子ジャミング」という考え方が再び光を放ち始めた。ポスト量子暗号の世界で通信の安全性を確保するため、暗号研究者たちは「原因」と「結果」という因果律の概念そのものを深く掘り下げている。
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ILLUSTRATION: Courtesy of Samuel Velasco/Quanta Magazine
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研究者たちは過去数十年にわたり、量子コンピューターはいずれ、現在デジタル世界の大半を支えている広く普及した暗号を解読できるようになると考えてきた。そこで研究者たちは、この脅威に備え、将来、量子コンピューターを武器にする暗号解読者にも破られないと考えられる新たな暗号方式の開発に長年取り組んできた。

その一方で、量子力学の法則を利用して通信の安全性を確保する独創的な手法も考案してきた。だが量子力学も、それ以前の古典力学と同様、自然を説明する理論のひとつにすぎない。もし将来、それがより包括的な理論に取って代わられたらどうなるのだろうか? ちょうど1世紀前に量子力学がニュートン力学に取って代わったように。より根本的な法則が支配する世界でも、こうした量子通信技術は安全性を保てるのだろうか?

「暗号プロトコルを考えるうえでは、疑い深すぎるくらいでちょうどいいのです」と語るのは、香港大学で量子暗号を研究する量子情報理論学者のラヴィシャンカール・ラマナサンだ。「プロトコルの前提となっている仮定をできる限り減らしてみましょう。『量子力学は自然を説明する究極の理論ではなかった』と、いつの日か人々が気づく可能性もあると考えてみるのです」

その可能性は十分に考えられる。量子力学と重力の統合といった未解決問題がこれほど難しいという事実は、自然を説明する量子力学を超えた理論にはわたしたちの予想を大きく覆すような何かが含まれている可能性を示唆している。

暗号プロトコルが誤った仮定の上に成り立っている事態に備えるため、量子暗号の研究者たちはその基盤となりうる、より根本的な原理を探し求めている。量子力学を出発点とするのではなく、それよりもさらに深いところまで掘り下げ、因果律という概念そのものにまで立ち返ろうとしている。

量子力学以上の基本原理を求めて

この研究の進展を理解するには、まず量子鍵配送(qkd)に目を向けるとよい。量子鍵配送とは、量子力学の法則を巧みに利用することで、メッセージを盗み見ようとする第三者が誰にも気づかれずに改竄することができない暗号鍵──秘密のメッセージを復号するための鍵──を共有する技術だ。量子鍵配送では、量子もつれが利用される。

量子もつれとは、スピンのような粒子の性質を介してふたつの粒子が強く相関した状態をいう。この量子もつれは、侵入検知用のトリップワイヤーのような役割を果たす。例えば誰かが暗号鍵を盗もうとして量子もつれに干渉すると、その行為によって量子もつれが壊れ、盗聴や妨害が行なわれたことが直ちにわかる。これは「量子もつれのモノガミー(一夫一婦制)」と呼ばれる量子力学の基本原理によるものだ。

だが、この原理が成り立たなくなったらどうなるのだろうか? もしそうなれば、メッセージの送信者が自分たちのデバイスを完全には制御できていない場合、第三者は粒子のもつれ状態にひそかに手を加え、痕跡を残すことなく通信を妨害できるようになってしまう。

このような現象は「量子ジャミング(量子妨害)」と呼ばれ、近年、その仕組みを解明しようとする研究が活発に進められている。

多くの研究者にとって量子ジャミングは極めて興味深い現象だ。というのも、量子力学と因果律というふたつの根本的な概念についての理解を深める手がかりになるかもしれないからだ。

研究者たちが問いかけているのは、量子ジャミングを禁じること、つまりその発生を不可能にするような、より根本的な原理が存在するのかということだ。あるいは、もしそのような原理が存在しないのだとすれば、量子ジャミングは現実の世界でも実際に起こりうるのだろうか?

ジム・ザ・ジャマー

ポーランド・クラクフのヤギェウォ大学で理論物理学を研究するミハウ・エクスタインは、量子ジャミングを説明するとき、好んである物語をもち出す。主人公は、量子力学の解説ではおなじみのアリスとボブだ。

「アリスとボブがいるとしましょう。そこへ、ジム・ザ・ジャマーというマジシャンが現れます」とエクスタインは語る。「マジシャンはこう言います。『ここにふたつのボールがあります。片方は白、もう片方は黒です』」

ふたつのボールは、量子もつれ状態にあるひと組の粒子を表している。ふたつの粒子が量子もつれ状態にあると、それらは何らかのかたちで互いに強く結び付いている。

例えば、一方の粒子を測定してスピンが上向きだとわかれば、もう一方の粒子のスピンは必ず下向きになる。逆に、前者が下向きなら、後者は上向きになる。たとえふたつの粒子が宇宙のはるか彼方に引き離されていたとしても、この関係は変わらない。

この物語では、ふたつのボールも同じように、一方が白ならもう一方は必ず黒になるよう結び付けられているのだ。

ステージマジックの定番通り、ジムは観客の目の前でふたつのボールをそれぞれ別の箱に入れ、箱の位置を何度も入れ替えてから、アリスとボブにひとつずつ手渡す。この時点では、どちらの箱にどちらのボールが入っているのかは、誰にもわからない。

その後、アリスとボブは宇宙船に乗り、それぞれ反対方向へ光速に近い速度で飛び立つ。しばらくしてふたりがそれぞれの箱を開けるまでのあいだに、ジムは手品を使ってボールの状態を変えてしまっていた。

最初のうち、アリスもボブもジムが干渉したことには気づかない。それぞれ、自分の箱には白いボールが入っている確率も黒いボールが入っている確率も50%だと考えている。箱を開ければ、中から出てくるのは白か黒のどちらかだ。ジムには、その結果そのものを左右することはできないように見える。

だが、アリスとボブが地球に戻って互いの結果を照らし合わせると、ジムの手品が明らかになる。ふたりは、それぞれのボールが同じ色になっていることを発見するのだ。ジムは、ふたつのボールの量子もつれの性質を、「必ず反対の色になる」というものから、「必ず同じ色になる」というものへ変えていた。

基本的な考え方はこうだ。ただし、実際の量子ジャミングの仕組みは、これよりもいくぶん複雑だ。

超量子もつれ

1990年代半ば、ヤーコブ・グルンハウス、サンドゥ・ポペスク、ダニエル・ローリックは、アインシュタインが打ち立てた基本原理(光より速く情報を伝えることはできないという原理)を守りながら、量子力学の枠組みをどこまで拡張できるのかを探っていた。

20世紀半ばにアインシュタインが行なった思考実験は、この「シグナル伝達禁止原理」が成り立たなければ、因果律そのものが崩れてしまうことを示していた。それ以来、物理学者が量子力学を超える理論を考える際には、この非局所的情報伝達の禁止原理が基本的な前提とされてきた。

「量子力学の基礎を研究する者にとって、非局所的情報伝達の禁止原理は非常に重要な原理です」と語るのは、フランスの国立研究機関INRIA(情報学自動制御研究所)のミルジャム・ヴェランマンだ。

グルンハウス、ポペスク、ローリックは、量子ジャミングを、量子もつれ状態にある粒子へ干渉できる「超量子もつれ」のようなものだと考えた。測定装置を使えば、互いに遠く離れた量子もつれ状態の粒子の状態を知ることができる。

同じように、仮説上の量子ジャミングを使えば、遠く離れた粒子対の相関関係を変えられるのではないか、と考えたのだ。そして、この量子ジャミングがいくつかの重要な法則に従う限り、因果律を乱すことなく、量子もつれの相関だけを密かに変えることができる、とグルンハウスたちを含む一部の物理学者は主張している。

量子ジャミングという発想はあまりにも奇抜だったため、当時の物理学者たちは論文を書いた当人たちも含めて、それをどう評価すればよいのかわからなかった。「わたしたちはあの論文を書いて、それで終わりでした」とポペスクは振り返る。

原因と結果、そして新しい物理学

20年後、このアイデアが再び注目を集めるときがやってきた。

理論上の概念にすぎなかった量子コンピューターが現実のものとなり始める一方で、量子暗号の研究も大きく進展した。2000年代には、複数の研究グループが量子もつれのモノガミーを利用したデバイス非依存型量子鍵配送という新しい量子暗号方式を開発した。

16年、ラヴィシャンカール・ラマナサンとパーヴェウ・ホロデツキは、こうした暗号プロトコルを研究するなかでグルンハウス、ポペスク、ローリックの論文にたどり着いた。

「わたしたちは、デバイス非依存型量子暗号の基盤となっているモノガミーという性質が、この種のジャミング相関を認めた瞬間に、まったく成り立たなくなってしまうことに気づき始めました」とラマナサンは語る。

やがて量子ジャミングは活発な研究対象となった。多くの研究者は、この思考実験には何か重要な点が欠けているのではないかと考えた。というのも、ジャミングによって光より速く情報を送ることはできないとはいえ、遠く離れた粒子どうしの相関関係を変えられるという発想はかつてアインシュタインを悩ませた「不気味な遠隔作用」を思わせるものだったからだ。

だが研究者のなかには、量子ジャミングがもたらす違和感から新たな発想を得る者もいる。「わたしには、これは因果関係をどう定義すべきかという直感を磨くための、有用な道具だと思えるのです」と語るのは、ロジャー・コルベックだ。彼は、06年の博士論文で、デバイス非依存型量子暗号のプロトコルを初めて提案した研究者のひとりだ。

現在、コルベックはキングス・カレッジ・ロンドンで、グルノーブル・アルプ大学内のINRIA研究所に所属するV・ヴィラーシニーと共にさまざまな理論において因果関係がどのように働くのかを研究している。

コルベックたちにとって量子ジャミングは、格好のエッジケース[訳註:極端な事例や想定外の状況などの意]となっている。ふたりが探し求めているのは、シグナル伝達禁止原理のように「量子ジャミングはなぜ許されないのか」を説明できるもうひとつの根本原理だ。

ラマナサンとホロデツキの研究グループは25年12月に公開した査読前論文で、エクスタイン、トーマシュ・ミレル、そしてパーヴェウ・ホロデツキの父リシャルトと共に、このコルベックらの研究とヴェランマンの最近の論文に応答した。

現在、研究者たちは互いに議論を重ねながら、用語の定義を明確にし、誤解を解きほぐしつつ、物理理論の背後にある根本原理を探ろうとしている。

エクスタインは言う。「わたしにとって最も興味深いのは、量子ジャミングの背後には新しい物理学が隠されているのか? 物理学はこのような現象を取り込めるのだろうか? ということなのです」

※本記事は、サイモンズ財団が運営する『Quanta Magazine』(編集については同財団から独立)から許可を得て、転載されたオリジナルストーリーだ。同財団は、数学および物理・生命科学の研究開発と動向を取り上げることによって、科学に対する一般の理解を深めることを使命としている。

(Originally published on Quanta Magazine, translated by Ryo Shinagawa/LIBER, edited by Nobuko Igari)

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