「雑味」なんてものは、AIには食わせられない:音楽家・TOWA TEIと映像ディレクター・中村剛、AIとの“共創”を語る

TOWA TEIが新アルバム『ZAMBIENT』を発売した。楽曲やMVの制作にAIを活用したという新作のキーワードは「雑」。その言葉にはどんな意図があるのか、AIとの“共創”で何が見えてきたのか──。TEIと映像ディレクターの中村剛が語り合った。
音楽家・TOWA TEI×映像ディレクター・中村剛
Photograph: Timothée Lambrecq

人工知能(AI)があらゆるものを“平均値”として、それらしく出力してのける時代。DJで音楽家のTOWA TEIは、2026年8月21日に発売したソロ14作目のアルバム『ZAMBIENT』を、その“平均”から丸ごと外そうとしている。

この一風変わったタイトルは、「雑種アンビエント」を縮めたTEI自身の造語である。その核にあるのは「雑」という1文字だ。ノイズや不純さ、規格からの逸脱を「雑」という言葉で捉えるTEIは、AIがはじき出す“平均”や社会が向かおうとする過剰な純粋さ、“無菌状態”といったものに、軽やかに抗おうとしている。

かたや先行して公開されたシングル「THE SOURCE」は、歌詞も演奏も生成AIとのやりとりから生まれた楽曲だという。しかも、歌声は生成AIによるものだ。にもかかわらず、いや、だからこそ、TEIは「雑味なんてものは、AIに食わせられない」と言い切る。“雑味”とは人間がもつセンスそのものであり、AIに学ばせることなどできない──というわけだ。

その「THE SOURCE」のミュージックビデオ(MV)を制作したのが、長年にわたってTEIのMVを手がけてきた映像ディレクターでCAVIAR代表の中村剛である。昨年制作した「APPLE(feat. 椎名林檎)」のMVで映像にグーグルの生成AIを用いるなど、「AIと作品」の関係に正面から向き合ってきたクリエイターだ。

中村もまた「正確なプロンプトをつくればつくるほど、おもしろくなくなってしまう」と語り、映像にあえて“雑味”を見出すことに腐心しているという。音と映像、それぞれの現場からAIの奥深くまで分け入ったふたりの口から、いま揃って「雑」というキーワードが飛び出したのはなぜなのか──。TEIと中村が語り合った。

音楽家・TOWA TEI×映像ディレクター・中村剛
Photograph: Timothée Lambrecq

AIとのキャッチボールで生まれた曲

──アルバム『ZAMBIENT』の先行シングル「THE SOURCE」は、時間や循環、死と再生をテーマに据えているとのことですね。アルバムの世界観の入口としてこの楽曲を配置したのは、なぜだったのでしょうか。

TEI 曲のタイトルは邦題が「源泉」なんですけれど、これは自分のルーツ(源)と「温泉」という言葉をかけているんです。生まれ変わったら何になりたいかとか、そういったことをよく考えるんですが、ぼくは本当に温泉に生まれ変わりたいと思ってるんですよ。だから今回のアルバムでは、去年リリースした「NOTHING ELSE」(邦題・サブタイトルは「風呂になりたい」)を再構築した「NOTHING ELSE 2」(邦題「風呂になりたい2」)を収録したわけです。

それは自身の「源泉」と重ねているのもあるけれど、「生まれてきた理由」みたいなことをさかのぼり始めると堂々巡りしちゃう。自分はとにかく楽しんでつくりまくることしか考えてないから、「楽しい生まれ変わり」みたいなことを考えていたかな。

昔、アメリカで行方不明者の捜査に協力してたっていう霊能力者のおばちゃんに会ったとき、「あなたは360回くらい生まれ変わってるわね」って言われたことがあって。そんな経験も反映したいという思いもありましたね。こうしたコンセプトや歌詞も、AIとキャッチボールしながらつくっていきました。

TOWA TEI
Photograph: Timothée Lambrecq

──昨年リリースしたアルバム『AH!!』でも、AIを積極的に活用していましたね。収録曲「HAPPYEND」は歌詞をAIとのキャッチボールでつくり、さらにボーカルにもAIの音声を採用していました。「THE SOURCE」に関してはどうでしょうか。

TEI 歌詞に始まり、オケ(伴奏)、歌もAIです。もちろん、てんで全然ダメなのも出てくるので、何度もやりとりして。

「HAPPYEND」は、曲調を「ハワイアンで」「60年代の音」みたいなプロンプトを入れて、出てきたものがよかったからどんどん引き伸ばして、最終的に全部打ち込み直しました。なので、AIが吐き出した音自体は、ボーカルしか使ってないんです。今回はAIとキャッチボールしてできた音をサンプリングしてますね。

──AIが出力するクオリティは上がっている、ということでしょうか。

TEI そうですね。採用する部分は増えたんじゃないかな。前回は単にそこまでできるって知らなかったこともあるけれど。今回は、例えばメロディーと和音だけを聞かせて、ベースラインはあえて聞かせずに、「1回考えてみて」と投げる。ある意味、AIの“騙し方”をこちらが覚えたといえますね。

変わるAIと映像の関係性

──「APPLE」の新しいMVを生成AIで制作した際に、中村さんは初めて本気で「AIと作品」に向き合ったと話していらっしゃいました。その経験を経て、今回の「THE SOURCE」のMVでは、どのように制作を進めていったのでしょうか。

中村 普段ぼくが考えてることはTEIさんとは少し違うけれど、歌詞がおもしろかったし、「前世以前の生まれ変わりたちがひとつの曲で大集合、だけど魂はひとつ」といったイメージを視覚的に落とし込んでいきました。

もちろんAIは活用しましたが、使い方と考え方が「APPLE」のときとは大きく変わりました。動画生成を取り巻く環境は、1週間で“景色”がガラッと変わる。「THE SOURCE」もそうした状況が強く反映されていると思います。

「APPLE」のMVは、よくも悪くもAIの質感が前面に出ているので、AIのすごさが伝わるんですよ。つまり「AIでここまでつくれちゃう!」が感じやすい。いまはAIの描写のリアリティが飛躍的に増してきたので、“AIの質感”が薄れてしまい、そもそも作品としてちゃんとおもしろいかどうかが重要になる。ここが大きな違いだと思います。

2025年に制作された「APPLE(feat. 椎名林檎)」のMV。映像にグーグルの生成AIを用いている。

──つまり「AIだから」ではなく、いかにアイデアが優れているかの勝負になってきた、というわけですね。

中村 ぼくの年くらいになると、いろいろなものを見てきているから、(アイデアの)引き出しだけはわりとたまっているんですよ。でも、映像はコストという制約によってテーマやモチーフが限定されてしまうこともしばしばある。その制約がAIによってほとんど取り払われて、どんなアイデアにも手が伸びるようになったことは大きいですね。

こんなこと、これまで映像をつくってきて、なかったことですよ。今回の「前世」をテーマに……みたいな壮大なことも、できちゃうわけですから。

それこそ、制作のルールをコード化して映像を生成するアプリをつくるなんてことも、いまは自分でできる。これまではエンジニアの領域だったわけです。朝の思いつきが夕方にはかたちになっている──。そういう世界になったんだな、と思います。

「THE SOURCE」のMV。より質感が高まっていることがわかる。

AIに対する“介護疲れ”

──TEIさんは昨年の『WIRED』のインタビューで、「次のアルバムは、ほぼ全曲でAIが歌っている」とおっしゃっていました。実際のところ『ZAMBIENT』では、どれだけAIを活用したのでしょうか。

TEI 最終的には、AIを使っている曲と、まったく使っていない曲が半々くらいになりましたね。

──そうなんですね。前回のインタビューでは「1周回ってAIに飽き始めている」ともおっしゃっていましたが、それも関係しているんでしょうか。

TEI AIの“ガチャ”のおもしろさは、いまだにあると思うんです。ただ、そのガチャで出てきたものをケアするのがしんどい。

つまり、ガチャに当たったとしてもそのままでは出せないので、自分でサンプリングして弾き直したり、事後処理は増えるんですよ。いわば、AIの“介護疲れ”。いまは音楽生成AIは、まったく使っていません。

DAW(音楽制作ソフトウェア)にも機能としてAIが入っているし、マスタリングに関しては何年も前からAIを導入しているので、役に立つ分野はもちろんあると思います。仕上げのところは、機能的にはそれなりに使える。

かといって、AIが「ベースライン考えてみるね」って出してきたものは、超ダサい。ダサすぎて、思わず「ダサっ」って返しちゃう。アイデアベースのところに関してはまだまだだし、逆にそれにいちいち鳥肌立ってたら、本当にぼくらの敗北なわけで。

いま音楽生成AIのUdioやSunoで流行ってる曲を聴いてると、日進月歩でクオリティが上がっていると感じるし、すごいとは思う。ただ「よくできてるな」とは思うけど、おもしろいとは全然思わないんですよね。もう笑えるほどよくできてるってわけでもないし、次の日には覚えてない。

中村 映像でいうと、去年の年末あたりまでは、みんな無邪気にガチャをバンバン引いて楽しんでいた時期だったんです。ぼくもそのころは実験的に大量に出力していて。実は「NOTHING ELSE 2」のMVは、そのときWhiskやGrokでつくった素材を使っています。いまはもう、そのころとはつくり方が変わりましたけどね。

「NOTHING ELSE 2」のMV。

──確かに実際に見せていただくと、AIならではの質感の奇妙さが前面に出ている印象です。

中村 いま同じようなプロンプトで出力しても、このめちゃくちゃな質感とガチャ感は去年のものなので、いま再現しようとしてもできません。

──おもしろい視点ですね。これまでメディアの質感は10年以上の周期で変化してきたわけですが、それが数週間単位で起きてしまった。

TEI 「昭和の質感」「フィルムの質感」が1周回っていいんだけれど、本当の意味で同じものはなかなか出せない──みたいな話ですよね。AIも初期はめちゃくちゃなわけだけど、そういうのがおもしろいわけで。

音楽だって、昔はチップの性能が低かったから、粗いビット数で1秒とかしかサンプリングできない時代がありました。だからこそ、レコードをわざと速く回転させてサンプリングして、ピッチを下げて再生する──みたいなアイデアが生まれて、独特の質感をつくっていたわけですから。いまのAIには「真面目か!」ってツッコミたくなりますよね(笑)

中村 映画をつくるプロのニーズにも応えるために、AIによる映像のクオリティはどんどん上がっているけれど、そのぶん、いい画を出すためにかかるコストも以前とは比較にならないくらい上がっているんですよね。コストが上がると、ガチャを引く余裕がなくなる。だからみんな、ものすごく正確なプロンプトを渡そうとする。

でも、正確なプロンプトをつくればつくるほど、おもしろくなくなってしまう。抽象的な言葉をわざと選んだり、あえて情報を渡しすぎないようにしたり。TEIさんが「ベースラインを聞かせない」のと同じで、映像でも狙いをわざとぼかして渡すんです。そうやってこちらからいろんなハックを仕掛けないと、AIはめちゃくちゃつまらないものを出してくる。だから、“雑味”をわざわざ足さなきゃならないんですよね。

音楽家・TOWA TEI×映像ディレクター・中村剛
Photograph: Timothée Lambrecq

人間ならではのセンスと「雑」

──そもそも『ZAMBIENT』というタイトルは、「雑種アンビエント」というTEIさんの造語がもとになっています。それも、いま話に出たような“雑味”の必要性からなのでしょうか。

TEI AIの活用は、もう避けては通れないものだと思うんです。いいとか悪いとかじゃなくて、どう適応するのか、という問題になっている。それって結局、センスでどう最終的に着地するのか、ということだと思うんですよね。その「センス」とは何か……と考えたときに、「雑」という言葉がいちばんしっくりきたんですよ。

ぼくらはものすごい技術革新の時代に生きているけれど、世界は本当に過酷で悲惨になってきているわけじゃないですか。気候変動とか夏の暑さはもう異常といえるほどで、生きていけるの?って感じるくらいだし、戦争も止まらない。

そういう環境のなかで、どういう音楽がおもしろいのか、どういうものをつくったらいいのか──。アーティストの葛藤のひとつの選択肢として、アンビエントミュージックがあると思うんです。実際にコロナ禍以降、いろんなアーティストが内省的なアンビエントっぽいアルバムをつくっていましたよね。

──過酷な時代の癒しというか、ある種の処方薬のようなものかもしれません。

TEI その気持ちはわかるんだけど、個人的にはつまらないと思っちゃうものが非常に多い。アンビエントミュージックって、繊細で脆くて、はかない世界観だったり、純粋培養の無菌室でつくられたようなシンセサイザー音楽を志向しがちじゃないですか。

でも、そういうアンビエントを聴くなら鳥の声を聴いていたいと思ってしまうタイプだし、いまはあらゆる局面で社会が「汚れ」を排除して整おうとしすぎてるじゃない。「無菌状態」を目指しすぎているというか。雑菌というか、雑味が全然足りないんですよ。

「都市や未来=クリーン」というイメージを根底から覆した『ブレードランナー』のような世界観が「雑」という言葉に通奏低音としてあって、はかなく繊細なものよりもタフなアンビエントミュージックのほうが、いまの時代のアンビエントとしてぼくにはフィットするんです。

前作の『AH!!』は自分の新章の始まりとして出したので、タイトルは「A」から始まることに意味を感じたんだけれど、アンビエントの終わりの向こう側に行きたい──という思いもあったから、今回は「Z」で始まることにすごく意味を感じたんだよね。それで、“元カノ”のチャッピー[編註:TEIは使わなくなっていたというChatGPTの愛称]とぐるぐる考えていったんですよ。

音楽家・TOWA TEI×映像ディレクター・中村剛
Photograph: Timothée Lambrecq

“ZAMBIENTである”ことの価値

──ここでいう“雑味”とは、人間ならではのクリエイティビティであるともいえます。AIが加速度的に進歩するなか、それすらAIで再現可能になると思いますか。

中村 AIを自分に最適化するためには、自分がどういう人間なのか、どういう価値観や判断基準をもっているのか──といったことを入力していきますよね。でも、これだけ長く生きていると、そのすべては入力できない。人間の複雑さや雑味みたいなものは、そもそも言語化しづらいんですよ。だから雑味なのであって。

そもそも人間のおもしろさの源泉って、日々目にするくだらないこと、意味のないことだらけじゃないですか。その膨大な蓄積が効いているんだとしたら、とても入力は追いつかない。仮に言語化して再現できたとしても、単純化されて、真面目なものにしかならないんですよ。いかにも「自分っぽいもの」すぎて、それっておもしろいんだっけ?と思ってしまう。エージェント型AIで育てたスキルだって、結局は過去の自分の再生産みたいなものですから。

TEI ぼくが普段から考えていることなんて、本当に不真面目でくだらない、なんてことないことばかり。それをわざわざ文字にして、AIに打ち込んだりはしないですよね。だからAIを使うときは、こちらも真面目になっちゃうというか……。つまり、雑味なんてものは、AIには食わせられないんです。

それに、ぼくはAIを使って制作したあとは、ログ(履歴)もどんどん消していくんですよ。自分でAIを使うときに「TOWA TEIっぽいノリ」をつくれないように、あえてしている。

中村 再現自体は、もしかしたら可能になるのかもしれない。でも、それを超えていくには「つくりたいものがあるかどうか」が重要で、それこそがセンスだと思うんですよね。

TEI 結局のところ「雑」ってノイズだし、逸脱なんですよ。不純なもの、ともいえる。例えば、「ダンスミュージックはこうだ」「シカゴ・ハウスとはこういうものだ」っていう、ある種のフォーマットや歴史があって、ピュアで「純」なものを更新しようとする態度。それが「雑」という言葉に集約されているし、“ZAMBIENTである”ということじゃないかと思うんですよね。

──TEIさんは『ZAMBIENT』について、「中心を目指さない音」という言い方もされていましたよね。

TEI 音楽家にも「中心」を目指す人はいるわけですよね。これはよし悪しではなくて、ぼくはそうじゃなかった、ということなんです。武道館や東京ドームは最初からまったく目指してないし、Deee-Liteが90年代にアメリカで想定外に売れた経験をして、「太く短く」は嫌だな……と、早い段階で感じた。

音楽の聴き方もそうで、片方でアシッドハウスのレコードをかけて、片方でインド音楽をかける。キーが合ってるから「ずっと聴いてられるじゃん! フェーダーを真ん中にして混ぜてみたい!」みたいな聴き方をしてきたから、「ZAMBIENT」という言葉は自分がやってきたことにこれ以上なく寄り添った言葉だと思っています。

ぼくは音楽に対しては純愛を貫いていて、いまだにたくさんの音楽を掘って聴いている。だからこそ、今回のアルバムは「どこにもないアンビエントアルバム」だと断言できますね。

音楽家・TOWA TEI×映像ディレクター・中村剛
Photograph: Timothée Lambrecq

(Edited by Daisuke Takimoto, Photographed at INTERSECT BY LEXUS TOKYO)

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