自宅で尿を採り、付属の容器に移して返送する──。この数分の手順で、すい臓がん、肺がん、食道がんなど、10種類のがんについてリスクを判定する検査がある。2018年に創業したCraifが提供する「マイシグナル・スキャン」だ。
がんは日本人の死因の第1位でありながら、早期に発見できれば治療の選択肢は大きく広がる。それでも検診の受診率は高いとはいえない。時間や費用の負担に加えて、「見つかるのが怖い」という感情が足を止めるからだ。
こうしたなかCraifは、人工知能(AI)を駆使した独自の技術でそのハードルを下げようとしている。Craifの検査を導入した医療機関は、2026年8月時点で約2,500カ所。全国のドラッグストアや薬局でも、4,700店舗以上で扱われるようになった。
Craifの技術の中核にあるのは、尿に含まれるマイクロRNAをAIで解析する仕組みだ。マイクロRNAとは、遺伝子の働きを調節するごく短いRNA(リボ核酸)のことを指す。ヒトの体内には2,000種類以上があるとされ、タンパク質がつくられる量を抑えるなどして、細胞の働きをコントロールしている。
このマイクロRNAは、がんなどの病態に伴って種類や量のパターンが変化することがあり、そのシグナルを捉えることで体の異常を検知する。「例えば乳がんであれば、マイクロRNAの種類や量に、乳がんの方に特徴的なパターンが現れます」と、Craifの最高経営責任者(CEO)の小野瀨隆一は説明する。「それをAIが学習し、健康な方との違いを見極めることで、がんの兆候を早期に発見できるのです」
ただし、AIが読み取るのはあくまで確率の高低であり、がんそのものを見つけるわけではない。マイシグナル・スキャンは医療機器ではなく、あくまで精密検査への入り口として設計されている。
もっとも、そのシグナルを捉えることは簡単ではない。RNAは分子そのものが壊れて細かい断片になりやすく、測定することが難しいのだ。しかも早期のがんでは、がん細胞がまだ少ないこともあり、尿に含まれるがん由来のマイクロRNAもごくわずかだ。
そこでCraifは、尿中のマイクロRNAを濃縮し、その量を正確に測る技術を構築した。こうした検体処理や測定に、バイオインフォマティクス(生命情報解析)やデータ管理などの機能を組み合わせたのが、Craifが「NANO IP」と呼ぶ独自のバイオマーカー解析基盤である。
そして解析に用いるAIの精度の土台となるのが、学習させるデータの質だ。Craifは全国約70の大学病院やがん研究センターとの共同研究で検体を収集してきた。近年ではCRO(開発業務受託機関)も活用しながら多施設で計画的に症例を収集する体制を拡充、データの信頼性を担保するために厳格な体制で研究を進めているという。
「点の医療」から「線の医療」へ
小野瀨のキャリアは、医療とは縁遠いところから始まっている。三菱商事で米国産シェールガスを日本へ運ぶLNG(液化天然ガス)船事業に携わる傍ら、副業で民泊施設の運営代行会社を立ち上げた。Airbnbがシェアリングエコノミーを代表するサービスへと成長していく姿に衝撃を受け、スタートアップの世界に引かれていったという。
その後、本格的に起業するテーマを探していた時期に、祖母に大腸がんが見つかり、わずか3週間で亡くなってしまった。しかも、その3カ月後には祖父が肺がんと診断されたのである。
がんに向き合うことを決めた小野瀨は、相談した投資家から尿を用いる検査技術の存在を知らされ、当時は准教授だった現・名古屋大学大学院工学研究科教授の安井隆雄を紹介される。ふたりは2018年5月にCraifを共同創業した(創業時の社名はIcaria)。
このとき小野瀨は、つてを頼って10人ほどの医師に、その技術の可能性について意見を聞いたという。返ってきたのは、「がんの検査には血液を用いるのが常識。尿を使うのは実現が難しいのでは」という反応だった。
「専門家が『常識だ』と言うとき、本当にその通りである場合もあります」と、小野瀨は振り返る。「でも、知見があるがゆえに見えなくなっている場合もありえるのです」
そもそも小野瀨自身、採血されるのが苦手だった。だからこそ、自宅で簡単に採取できる尿を使ったほうが、筋がいいと考えたのである。
一方の安井は、この時点ですでに尿でマイクロRNAのシグナルを捉える技術を確立していた。医療の常識に縛られていなかったふたりだからこそ、選べた道だといえるだろう。
Craifによる技術の応用領域は広がりつつある。現在は2型糖尿病や慢性すい炎などを抱えるすい臓がんの高リスクの人を対象に、尿中のマイクロRNAなどをAIで解析し、医師の診断を補助するソフトウェア医療機器の開発も進めている。米国展開はこの領域から始め、2026年4月にはサンディエゴに自社ラボを開設した。小野瀨自身も現地に移住している。
その先に目指すのが、「点の医療」から「線の医療」への転換だ。症状が出てから病院へ行くのではなく、尿などから得られるデータを継続的に蓄積し、AIが一人ひとりの変化を追うような世界である。
将来は、世界中のトイレで検査がおこなわれ、異変があればスマートフォンに通知が届く。そこから医療機関での精密検査につなぎ、その後の経過観察まで同じ基盤で支える──。そんな構想を、小野瀨は描いている。
「その昔、多くの人が亡くなる原因のひとつが虫歯でした。でもいま、虫歯が見つかったことで取り乱す人はいませんよね。がんも同じようになると思っています」
(Interviewed by Daisuke Takimoto, Text by Tomoro Kato)
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